奈良阪町は氏神さんの「奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ・延喜式内社)」を中心に歴史は深い。
特に奈良南都詣寺社巡礼が盛んとなった中世期から近世にかけて、奈良〜京都・そして伊賀、伊勢路への街道筋として栄えていた。
また、明治から昭和の初め頃までは季節の産物などが近郊から集まり、物資の集積地として、問屋(卸売市場)も数軒あった、奈良の街から仲買人や小売業者が押し寄せ大変賑わったところである。
このような土地柄でもあって、数多くの伝説や、よもやま話が生まれ語り継がれて、今に残されている。
昔はだれでも子供のころ、父や母、お爺ちゃん、お婆ちゃん、近所の年寄りからも、夕涼みや、夜話でよく聴かせてもらったものである。
ただ、伝説というものは歴史と違い、何時(いつ)ということがはっきりしないし、事実であったかどうかもはっきりしない。
先人たちが、口から口へと言い伝えで今日まで残してくれた貴重な物語である。
しかし、出来るだけその年代を表すことが、現代人にとってもとめられることではないかと考え、話の内容から一定の年代も想定してみた。
よもやま話・情報はテエヤンから
「テエヤン」は、餅や団子を売る茶店を営み、物知りで話好きな人であった。店先はいわゆる「ニュースセンター」であった。
「テエヤン」は奈良豆比古神社から北へ100m、古くからの街道筋に面したところにある。年中湯茶を沸かし、店先には床几を置いて餅や団子を売っていた。
当時、奈良〜京都街道を往来する南都詣の人々、京都府近郊から季節の野菜や果物を問屋へ出荷する人や仲買人、町から買い出しに来る小売商人たちが気軽な休息所として集まり、店は繁盛したそうである。
古老は言う、「テエヤン」は誰にでも愛想よく振る舞い、話好きでもあっって、遠来の人に気安く話しかけては、その日の出来事や、各地での出来事など世間話を聞くのが楽しみで、いろいろなよもやまの話」はよく知っていた。まさに情報の収集発信の基地であったらしい。ときには若い衆や子供たちを相手に話込んでは、夜遅くまで店が開いていたそうである。
「テエヤン」から語り伝えられた「よもやまの話」を古老(故 杉本卯之助)を通じていくつか紹介する。