伝説・よもやま話

鴻ノ池の水グモ

蜘蛛

鴻ノ池は、現在奈良市立中央体育館(2021年4月1日から「ロートアリーナ奈良」と呼称)の西側に一部を残すのみで、昔の面影もない。昭和26年(1951)から奈良市が鴻池総合運動場計画として実施し、池の東北側周辺はグラウンドに、また西側には昭和43年(1968)に福祉施設「老春の家」が建設された。

そして昭和47年(1972)には現在の中央体育館が出来た。以前の鴻ノ池はかなり大きく、周辺は田や畑で、ほかは藪や赤松が生い茂り家は建物もなく淋しいところであった。

池と池の間には、荷車が通れる程度の道路(旧大佛鉄道軌道敷)があって(現在拡張整備され、やすらぎの道となっている)両側に広がる池の水は青く澄んでいる。恐ろしいほど淋しいところであった。

昔から、鴻ノ池で釣りをする者はいないという。鴻ノ池にまつわる伝説は多い。そのひとつにこんな話がある。

古老は言う。

昔、雨の降るある日のこと、鴻ノ池で釣りをしている一人の釣り人がいた。

菅笠に蓑を着て池畔から竿を出していた。池畔には土留めの悔いが打ってある。

釣り人は草履をはいた足を杭に掛けて釣りをしていたという。

その日はシトシトと小雨が降っていた。釣り人はじっとウキを見ていた。

するとウキの向こうから一匹の水グモが釣竿に沿うようにして、スーッと足元へやって来て、釣り人の足にからんだと思うと、足の親指に巣糸を巻きつけて、また池の真ん中へ消えていった。

釣り人は、そのクモの仕草を見ていたが、特に気にも止めず、足の指にまきつけられたクモの糸を何気なく人差し指と中指ですくうようにして、足元にある古い杭へ移した。

間もなくして、急に風が出て波が荒くなったかと思うや、ゴーウという音と共に足元の杭が引き抜かれて池の真ん中へ吸い込まれていったのである。

釣り人は一瞬何が起こったのか戸惑ったが、ふと我にかえって驚いた。

これはどうしたことか、もしあのクモの糸を足から杭に移していなかったら、釣り人は池の真ん中へ足から引きずり込まれていたであろう。釣り人の顔色はなかった。慌てて逃げ帰り、それ以来寝込んでしまったという。

こんな不思議な恐ろしい事があってからは、誰も鴻ノ池で釣りはしなくなったそうである。

(古老の話より)

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