奈良豆比古神社

万葉樹「児乃手柏このてがしわ

奈良山の 児乃手柏の両面に 左にも右にも 侫人の徒    博士消奈行文大夫・作ならやまのこのてがしわのふたおもに   かにもかくにも   こびひとのとも      はかせせなのぎやうもんまへつきみ

(万葉集、巻第16・3836)

奈良山の東の端に位置する「奈良豆比古神社」社殿の前に、万葉の樹「児乃手柏」がある。

児乃手柏の樹は一見「桧」のようで葉もよく似ているが、桧の葉は裏が白い、ところが児乃手柏の葉は両方とも緑で裏表がない。そして児童が手の平をひろげたような形から、「児の手」の字があてられたのであろう。また葉は上向きで南北に林立していて、樹木全体に風通しと、日照が良いように、南北に透けて形作っているのが特徴である。

「山で道に迷ったら児乃手柏の樹を見れば方角がわかる」と言われている。

種子は「滋養強壮剤」として、葉は「止血作用」があるといわれ、昔から薬として使用されていた」との記録もある。

万葉集に詠まれている児乃手柏は、奈良山の何処にあったのか、或いはどこかに多く植えられていたものかは定かでない。

また、斑鳩の里・法隆寺の境内にあった児乃手柏を人々は「百済の樹」と呼んでいたそうである。それは、有名な「百済観音」にあやかってか、それとも朝鮮「百済」の国から当時持ち込まれたからなのか。

いずれにしても児乃手柏の原産地は中国であることから、その昔中国から朝鮮半島を経て、多くの文化と共に渡来し、奈良に根付いた。

今は切り株のみ、しかし直径90㎝の高木がこの歌の「児乃手柏」

その児乃手柏の古い切り株(直径90cm)が「奈良豆比古神社」の境内、しかも三社が祭られている社殿の前(北側)に銅版で囲い保護されている。昭和20年代にその横へ植えられたと伝えられる二世の樹が、今は幹回り約65㎝ほどになっている。

古い切り株からも、かなり高木であったと考えられる。また、珍しい樹質からしても、奈良坂越えの街道を行き交う旅人たちの、格好の目印にもなっていたに違いない。

察するところ、奈良豆比古神社内には、万葉の当時からすでに、この樹木は実在していて先に紹介した「奈良山の児乃手柏の両面に・・・」と歌われた万葉樹は、まさにこの樹ではないだろうか。

さて、この歌の意味であるが・・・

「奈良山の児乃手柏の葉のように、裏も表も構わず、左にも右にも口先だけうまくて人にへつらい、心のねじけた人である」

と当時の学者たちを謗(そし)った歌とされている。

奈良時代の状況はともあれ、奈良山に住む者にとっては、決して良い印象の歌ではないが、児乃手柏は、裏表の無い善人を表しているとの説もある。

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