小豆が嫌いで命を落とした話(実話)
小豆は目出たい時、祝い事に赤飯として使われたり、またその年の占いに用いる(伝統行事、粥占い)など、昔から「験(げん)の良いもの(縁起の良いもの)」として日本人の生活に溶け込んでいる。
旅行に行くときなどは、お守りや魔除けとして小豆三粒をポケットに忍ばせていくという。こんな風習が今でも一部の家庭では残っている。
昭和の初め頃、ある夏の日の出来事である。
当時、奈良阪町では盆前になると、墓地の掃除は町内の青年団ですることが恒例となっていた。
墓掃除を終わった青年団は、みんなで鴻ノ池へ泳ぎに行くことになっていた。これも恒例で、この日も泳ぎに行く話がまとまった。
途中、町内にある「駄菓子屋」に立ち寄り、かき氷を食べることになって、皆「小豆の入った氷金時」を注文した。
しかし一人だけ、小豆が嫌いで食べず、家で寝ている母親に、と持って帰ったそうである。
一方、氷金時を食べたみんなは、近道の「勝風谷」を通って鴻ノ池へ行き泳ぎ始めていた。
母親に「氷金時」を持って帰ったため、みんなより遅れて来た一人は、鴻ノ池に着くなり泳ぎ始めたが、池の真ん中まで行ったところで、急に溺れて沈んでしまったそうである。
これを見ていた連中は大騒ぎとなり、みんなで水中を探したが見つからず、走って知らせに帰る者もいて、捜索は町内総出となった。
それでも遺体は見つからず、誰が言い出したか「牡の鶏を乗せた船を浮かべて捜すと、遺体が沈んでいる所で鶏が鳴く」と、ワラにもすがる思いでこれも試してみたが、とうとうこの日はみつからなかったそうである。
翌日、遺体は水面に浮いていたそうであるが、みんなが食べた「小豆の氷金時」を食べなかった「親孝行者の不幸な出来事」として、後の世まで語り継がれている。
古老は言う、「赤飯は見逃すな・遠慮するな・たとえ小豆三粒でも食べよ・催促してでも食べよ」と・・・・・。
こんな出来事があって以来、鴻ノ池で泳ぐ者はいなくなったと聞いている。