慈覚大師(じかくたいし)円仁が創立 重要文化財の仏像が安置されている
西福寺は、貞観年中(859〜877)に慈覚大師(じかくたいし)円仁(えんじん)が創立したもので、天台宗を奉じ唯心庵(ゆいしんあん)と唱えていた。
のちに慶長9年(1604)、瓣誉明雄上人(べんよめいゆうしょうにん)が中興し、浄土宗「西福寺」と改めた。現在、京都・知恩院の末寺となっている。
境内は敷地約1,295㎡(天保6年(1835)の御検地図面による)
表門を入ると、左側い地蔵堂がある。右手には元禄年間(1688〜1704)建立の薬師堂があって、平成4年1992)に改修、薬師如来が安置されている。
正面本堂は、方五間半錣(しろこ)本瓦葺きで本尊「阿弥陀如来立像」は平安時代の作で、重要文化財に指定されている。
このほか五体の仏像(重要文化財・平安時代)が、昭和58年(1983)に新しく完成した鉄筋の収蔵庫に納められている。
門前には一対の石燈籠 山岳信仰「大峰山」の信者が奉納
門前に一対の石燈籠(常夜燈)があるが、いずれも火袋の下に「大峰山(おおみねざん)」とあり、北方(右側)には「桜榮講(さくらえこう)」と正面に彫られてあって、「天保六年(1835)十一月吉日」と年号もきざまれている。
南方に(左側)には「佐保山(さほやま)」と講の名があり、「文政十一年(1828)戌八月吉日」の年号がある。これらは山岳信仰の盛んな当時「大峰山」」の信者(講中の人々)によって奉納されたもので、台座の四方には当時の講中の名が屋号で連ねられている。
二本の石の塔婆は「高座」から移されてきた
また、門前入口左側に大きな石の塔婆が二本並んで建っている。左側には「南無阿弥陀仏」と刻まれていて、元禄十五年(1702)十月十五日の年号があり、右側の塔婆には「梵字」が刻まれ、同じ年号がある。
この石塔婆は、もとはここから北へ約2㎞の「高座」の地にあったものが、ここに移されてきたものと伝えられている。