奈良豆比古神社

奈良豆比古神社の翁舞

  • 昭和29年(1954)3月2日 奈良県指定文化財
  • 昭和47年(1972)8月5日 国の無形民俗文化財記録選定

奈良豆比古神社で毎年10月8日の宵宮祭りに古式な翁舞が、町内「翁講中」の人たちによって奉納される。

この翁講は、古くは約40戸ほどであったが、今は24戸である。

家筋が決まっていて、左回りで三人が当屋をつとめ、年々の祭事の当番をする。当屋頭が一人、ほかの二人を平当屋とよんでいる。

「奈良坊目拙解・村井古道」では、この神社の縁起によると、桓武天皇御宇春日王(祭神の一人)が不慮でこの神社におこもりの時、孝養をつくされたことが叡聞に達し、弓削の姓を賜った。

浄人は散楽、俳優(わざおぎ)を好まれ、この芸をもって父王の病気の平癒を祈願されたところ神霊によって病気は全快した。世にいう申楽・能楽・翁三番叟で、この面は浄人からはじまった、と縁起を要約している。

現在の翁舞は、いわゆる式三番で・前謡・千歳の舞・太夫の舞・太夫と脇二人の三人舞・三番叟の前舞・千歳と三番叟の問答・三番叟の後舞となっている。

毎年9月21日夜にその年の役が決められるが、千歳は男児が務めることになっている。

9月23日から一週間毎夜、神社境内の集会所で練習をする。10月4日には全講員が集まって神社拝殿(舞台)で衣装を付けず仕上げの予行をする。

宵宮祭の10月8日夜8時頃、演者は衣裳部屋から拝殿に渡された床(花道)を神主・笛・小鼓(こづつみ)・太鼓(おおど)・地頭(じがしら)・地謡(じうたい)・三番叟(さんばそう)・千歳(せんざい)・太夫(たゆう)の順に出て、拝殿中央で(右足立て膝で)拝礼し、着座する。

全員が着座すると、笛が吹き出されて、小鼓が打たれ、前謡となり、

「とうとうたらりたらりら」と前謡に次いで、前座とも思われる千歳(少年)が「なるは滝の水日は照るとも」と、先ず長寿を祝いながら舞う。

次いで太夫が「千年の鶴は万才楽とうとうたりまた万歳の池の亀は甲にさんぎょくをいただいたり」と天下泰平・国土安穏を祝福し、あわせて町内の守護を祈願し、最後に千歳と三番叟との問答となる。

(三番叟)あらめでたおのに心得たるとの太夫殿にけんざう申そう。

(千歳)丁度参って候、としごろのほうばいつれともだち御宮殿のために、まかりたって候。(以下略)

千歳と三番叟との問答

この千歳と三番叟の問答が翁舞で特に古い形態を残している。三番叟が千歳に話しかけると、千歳は正面を向き、千歳がはなしかけると三番叟は正面を向くという、互いに向かい合うことのない問答。

これは神に語るといった形式をとっているのであろう。この翁舞独特の姿を示すものとして注目されている。

こうした式三番の形式を整えたのは、吉野時代から室町時代であるといわれている。

翁舞に用いる道具類と面

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