伝説・よもやま話

十八丁谷の化かし狐

「奈良阪町字十八丁谷(じゅうはっちょうだに)」というところがある。

町内の中心部からの距離が十八丁(約2㎞)の所に位置することから小字の地名が付いたのだろう。

昭和22〜23年(1947〜8年)頃までは狐(きつね)が多くいたことで知られている。

ここは黒髪神社(くろかみじんじゃ)から西へ、ちょうどドリームランドの北側に位置し、町内の墓地(土葬墓)も、ここ「字十八丁谷」にある。

ここへ通じる道は昔、法華寺・佐紀を通って暗がり峠を越え、大阪へ通じる主要な道であったといわれている。

古老は言う・・・

村の人が家路に急ぐ夕方、ここ十八丁谷まで来ると帰る道がわからなくなったり、山中で同じところを歩き回っていたり、野壷で行水をさせられた者、等々不思議な事がたびたびあって、狐にだまされたという話が村中に広がった。

村の若い衆達のあいだで、怖いもの見たさから「狐にだまされに行こう」と話しがまとまった。

夏のある日の夕方、若い衆数人が、狐の好物といわれている天ぷらなどと蚊帳(かや)を用意し、十八丁谷へ行くことになった。

酒盛りでもしながら、蚊帳の中で一晩過ごすことに話がまとまった。そして、どんな怖い事があっても途中で挫折はしないこと、と堅い約束もした。

宵のうちは、皆緊張しつつも元気がよく、持ってきた天ぷらなどをどこへおいておくか、など口々に言いながら、その包みを手近な木の枝にくくりつけて、酒を飲みながら様子をうかがうことにした。

夜も更けるにつけ、皆眠くなってきたのか静かになった頃、若い衆の一人「留吉」の奥さんが急ぎ足でやって来て、「家族が急病のためすぐ帰るように」と留吉を呼びに来た。

留吉は仕方なく皆の許しを得てあわてて家へ急いだ。

家族は取り乱しているだろうと思いながら急いで帰ったが、家の中は真っ暗で、明かりもついてなく、別に変わった様子もない。家族は皆よく寝ていた。

留吉は寝ている奥さんを揺り起こし、十八丁谷へ呼びに来たことを確かめたが、奥さんはそんな覚えはないという。

そこで留吉は、これは狐の仕業か、と我に返ったが、十八丁谷へ呼びに来た時の奥さんのかすりの浴衣姿が、いま目の前にいる奥さんが来ている浴衣の柄やその姿と全く変わりなかったのである。

留吉は怖くなって、皆のいる十八丁谷へ戻ることが出来ず、夜が明けるのを待って急いで行ってみると、皆は何ものなかったかのようによく眠っている。

そして、木にくくりつけておいた狐の好物の天ぷらの包み、中身は何もなかったそうである。

(古老 故・杉本卯之助)

(「留吉」は仮名)

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